逃避行の果てに

知らないことや分からないことだらけだけどそれを踏まえて考える 気分で都度更新

本当にその人はバカなのか?

自分が理解できない、又は自分のもってる知識と相容れない主張をする人に対して、軽率に「相手がバカである」という結論を出すのはおかしいという意見。

バカとは理解力・判断力・知識が劣っていることとする。

 

 

 

1.場合分けをとばしている

「相手がバカである」という場合を考えるならば、同様に

「自分がバカである」場合と「両方バカである」場合も考えるべきです。

 

自分が得た情報の正しさを盲信せずに、情報源やその思考に至る過程を比較して考えないと、対等な判断はできません。

 

「内容に矛盾がない」や「根拠やソースがある」だけでは、絶対に正しいと言い切るには不十分です。(考慮すべきことが抜け落ちてる、情報源が嘘、一部分を抜き出したソースなどの可能性)

 

情報が不足している場合、自分も相手も正しく見えるということも起こるでしょう。

「現状どちらがバカか分からない」(=保留)という答えもあり得るということです。

 

 

 

2.思考の癖

人は、先に得た情報の方が後に得た情報よりも正しいと思ってしまったり、思考の癖があります。

情報はいつ得たか、誰に教わったか、何が常識(多数派)か等よりも、内容が大事です。

(嘘つきが見分けられればそれに越したことはありませんが)

 

なぜ自分の方が正しいと考えるかを、どこまで説明できるかが大事なところだと思います。

 

 

 

3.新しいことを知るには「自分の考えは間違っているかもしれない」という仮定が必要

基本的に、情報の正しさは特定の前提のもとに成り立ちます。

 

例えば、「足し算をすると必ずもとの数以上になる」という説があるとします。

これは「0または正の数を足す場合」という前提のもとに成り立つものです。

しかし、「負の数を足す場合」には成り立たちません。

 

「負の数を足す場合」が見えてない人にとって、この説は絶対正しいものであり、「負の数を足す場合」が見えている人がバカに見えてしまいます。

 

自分が正しいと思っている前提も、1つの場合分けに過ぎないということを念頭におくことで視野が広がると思います。

 

否定や肯定は、ある程度理解した上でするべきだと思います。

 

個人差があることなどに関しては、「その説が適用される者もいればされない者もいる」ということがあり得るので、反例を示しても一概に間違っているとは言えません。

 

 

 

 

4.深いか浅いか

詳しく調べたり、考えたり、検証したりした深い主張か?

誰かの意見に流されたり、感情的だったり、なんとなくの浅い主張か?

 

自分の知識と噛み合わないからといって、それが必ずしも浅い主張とは限りません。

自分の知らないことまで知っている可能性があります。

 

難しい言葉や専門用語を多用したり、話をどんどん複雑化しようとする人は、要するにどういうことなのか考えていない=浅い可能性があります。

 

先入観で見誤りやすいです。

 

 

 

 

5.わざとバカなことをしてるように見せている場合

道化師、陽動、煽動、偽旗など、叩かれたり叩かせたりするのが仕事の人もいます。

あからさまなバカや宣伝されている人でなしは疑ったほうがいいかも。

 

 

 

まとめ

相手がバカだと仮定すれば自分の無知を相手の無知にすり替えることができます。

ですが、誰だって知らないことはあるし、騙されることもあります。

知識競争をするのではなく、理解や分析に努めた方が賢いと思います。

 

正しそうなことを言って誘導する人もいるようなので、自分の中の情報を更新し続けましょうε=(o^-^)o