逃避行の果てに

知らないことや分からないことだらけだけどそれを踏まえて考える 気分で都度更新

自己肯定感についてまとめてみた

 巷に流れている自己肯定感を高める方法が、表面的なものや断片的なものが多いと感じたので、まとめてみました。

 思いつきで書いている部分が大きいので、ご了承ください。

 

 

1,なぜ自己肯定感を欲するのか

 仮に自己肯定感が全くないとすると、自己評価は常にマイナスです。

 そうなると、自分には存在価値や存在意義がないという思考に至り、生きる意味を失います。

 よって、自分を保って生きるために必要だと思われます。

 

 

2,分解

自己肯定感の種類

  • 絶対的自己肯定感

   自分の存在に対する肯定感

  • 相対的自己肯定感

   自分の能力に対する肯定感

 

自己肯定感が低くなる要因

  • 自尊心の低さ
  • 劣等感
  • 罪悪感
  • 自己肯定の裏付けが無い
  • 疲労

 ※罪悪感については、まだ僕の中で処理できていない為今回は省略します。

 

自尊心を支える要因(心理学者ウィルシュッツを参考に)

  • 自己重要感
  • 自己有能感
  • 自己好感

 主観的な自尊心が、自信やプライド

 

 

3,問題点

  1. 自分はたいしたことがない人間だと思っていると、行動や考え方を縛ってしまう(超訳ニーチェの言葉 I.己について を参考に)
  2. 甘やかされ続けると、成長しない
  3. 自分を贔屓すると、自惚れになる
  4. 自己肯定に固執すると、事実を無視しかねない

 

 

4,自己肯定感の上げ方を挙げてみる

【絶対的自己肯定感を上げる】

  • 身なりを整える
  • 自分はどうしたいかを大事にする
  • できることに集中する
  • 楽しいか?軸で考えてみる
  • 感謝されることや、役に立つことをする

 

【相対的自己肯定感を上げる】

  • ハードルを下げてみる
  • 未熟な場合、能力値より成長率に着目してみる
  • 自分と他者を同じ条件で比較してみる(経験年数など)
  • 目的によっては、比較対象は敵ではなく味方
  • 「自分はすごいはず」とか、「あの人は完璧」は本当か?
  • 昨日の自分や昔の自分と比較してみる
  • 他人と違ってこそ価値がある

 

【自己肯定感が低めでも自分を保つ】

  • 自分に素直になる,本音を大事にする
  • 常に正解し続けるのは不可能に近い
  • 失敗を許し会える人と付き合う
  • 休息に罪悪感を持たない

 

【その他】

  • 気分転換、ストレス発散
  • 食事、睡眠、運動、規則正しい生活

 

 

5,理想的な自己肯定の状態とは

 自分の感覚的な話になりますが、「自己肯定感について考えていない状態」が理想なのではないかと思います。

 それはつまり、仲間から認められていて(絶対的自己肯定)、且つ自他の強さ,弱さを認めている(相対的自己肯定)状態です。

 そうなったとき、自己肯定感ではなく成長や仲間、探求などに目が向いているのではないかと思います。

 

 ただし、自分の価値を他者に求めすぎると、一方的な依存になってしまいそうな気がします。

 

 

(以下2020/04/26追記)

6,自己分析の方法

まず定義として、自分に対する評価がマイナスのときを自己否定、プラスのときを自己肯定、どちらでもないときを自己受容とします。

 

1.原因を考える

 絶対的自己否定の場合、自分のどういうところに嫌悪感を感じているか。相対的自己否定の場合、他人のどういうところに嫉妬しているか。

 

2.現状を把握する

 原因は解決可能か。原因の解決は自分にとって必要なことか。自分が望んでいることは何か。

 

3.対策を考える

 解決可能であれば、手段を考える。変えようがなかったり、努力しても変わらなかったのならば、諦めることも考える(自己受容)。

 

人には個体差があり、長所があれば短所もあることが一般的です。

教育と称して躾が行われることがありますが、これは「○○ができないと自分には価値がない」という思考を植え付けます。思い当たるものがあれば、一度自分の頭で考え直してみるといいかもしれません。

本当にその人はバカなのか?

自分が理解できない、又は自分のもってる知識と相容れない主張をする人に対して、軽率に「相手がバカである」という結論を出すのはおかしいという意見。

バカとは理解力・判断力・知識が劣っていることとする。

 

 

 

1.場合分けをとばしている

「相手がバカである」という場合を考えるならば、同様に

「自分がバカである」場合と「両方バカである」場合も考えるべきです。

 

自分が得た情報の正しさを盲信せずに、情報源やその思考に至る過程を比較して考えないと、対等な判断はできません。

 

「内容に矛盾がない」や「根拠やソースがある」だけでは、絶対に正しいと言い切るには不十分です。(考慮すべきことが抜け落ちてる、情報源が嘘、一部分を抜き出したソースなどの可能性)

 

情報が不足している場合、自分も相手も正しく見えるということも起こるでしょう。

「現状どちらがバカか分からない」(=保留)という答えもあり得るということです。

 

 

 

2.思考の癖

人は、先に得た情報の方が後に得た情報よりも正しいと思ってしまったり、思考の癖があります。

情報はいつ得たか、誰に教わったか、何が常識(多数派)か等よりも、内容が大事です。

(嘘つきが見分けられればそれに越したことはありませんが)

 

なぜ自分の方が正しいと考えるかを、どこまで説明できるかが大事なところだと思います。

 

 

 

3.新しいことを知るには「自分の考えは間違っているかもしれない」という仮定が必要

基本的に、情報の正しさは特定の前提のもとに成り立ちます。

 

例えば、「足し算をすると必ずもとの数以上になる」という説があるとします。

これは「0または正の数を足す場合」という前提のもとに成り立つものです。

しかし、「負の数を足す場合」には成り立たちません。

 

「負の数を足す場合」が見えてない人にとって、この説は絶対正しいものであり、「負の数を足す場合」が見えている人がバカに見えてしまいます。

 

自分が正しいと思っている前提も、1つの場合分けに過ぎないということを念頭におくことで視野が広がると思います。

 

否定や肯定は、ある程度理解した上でするべきだと思います。

 

個人差があることなどに関しては、「その説が適用される者もいればされない者もいる」ということがあり得るので、反例を示しても一概に間違っているとは言えません。

 

 

 

 

4.深いか浅いか

詳しく調べたり、考えたり、検証したりした深い主張か?

誰かの意見に流されたり、感情的だったり、なんとなくの浅い主張か?

 

自分の知識と噛み合わないからといって、それが必ずしも浅い主張とは限りません。

自分の知らないことまで知っている可能性があります。

 

難しい言葉や専門用語を多用したり、話をどんどん複雑化しようとする人は、要するにどういうことなのか考えていない=浅い可能性があります。

 

先入観で見誤りやすいです。

 

 

 

 

5.わざとバカなことをしてるように見せている場合

道化師、陽動、煽動、偽旗など、叩かれたり叩かせたりするのが仕事の人もいます。

あからさまなバカや宣伝されている人でなしは疑ったほうがいいかも。

 

 

 

まとめ

相手がバカだと仮定すれば自分の無知を相手の無知にすり替えることができます。

ですが、誰だって知らないことはあるし、騙されることもあります。

知識競争をするのではなく、理解や分析に努めた方が賢いと思います。

 

正しそうなことを言って誘導する人もいるようなので、自分の中の情報を更新し続けましょうε=(o^-^)o

数学っぽく陰謀論の解き方を考えた

陰謀論の誤用を避けるため、数学っぽく解き方を考えたいと思います。

 

(i)陰謀論の定義

文字を見れば、『陰で謀ること』となります。

しかし例えば企業が営利目的のために合法的なことを企てるのは、陰謀ではなく普通のことです。

それは、そもそも企業とは表向きに営利目的の組織であるからです。

 

『陰で』とは『見えないところ』という意味ではなく、『表向きの意志と反して』という意味であるということです。

 

対比して考えると、証明問題が『命題が正しいかどうかを確かめる問題』とするならば、

陰謀問題は『事象に裏側の意図があるかどうかを確かめる問題』となります。

 

 

 

(ii)陰謀論の公理

  1. 陰謀を企てる者や団体(陰謀者とする)は、表向きには善良な言動をする=嘘をつく
  2. 陰謀者は見つからないように隠れる、隠す
  3. 陰謀者は逃げ道やもっともらしい反論を用意する
  4. 陰謀者は証拠を消そうとする
  5. 陰謀者側の者や団体は陰謀者と敵対しない(表向きには敵対することはある)

 

 

 

(iii)陰謀論の解き方

なるべく理屈重視で書きたいと思いますが……(-_-)

 

陰謀問題の特徴

表向きの意思と裏向きの意思が違うことから、

  • 公開されている情報や発言と現実にギャップがある

公理2より、

  • 周知されていない

公理3より、

  • まともな議論がされない

 

 

定理から解く

手っ取り早いのは、定理((ii)で示したことを具体的にどのようにすることが多いのか)を見つけることだと思います。

そのためには敗者の歴史を探るのが最も確実でしょう。

勝者が敗者の歴史を文書を燃やすなどして消し、悪者扱いすることが多いためです。

もし勝者の言い分がすべて正しいのであれば、敗者の歴史を消す必要性はありません。

 

定理が分かれば、それに照らし合わせることである程度は判別が可能になるはずです。

 

 

憶測を立てて詰めていく

また、公理のみを使う場合や事象の未知数が多い場合でも憶測を立てることはできます。

証明問題で例えると、命題を証明することができなくても、命題が成り立つための未知数の範囲は示すことができるような感じです。

 

隠そうとしている情報を集めることで解に近づくはずです。

 

 

※情報発信者が陰謀者側かどうか

情報発信者のスポンサーや所属、過去の発言などから憶測が可能。

いろんな人や考え方があるでしょうし、この方法を使っても100%確実とは言えないでしょう。

 

 

真実は不明

いくら勘ぐったところで、それが陰謀によるものなのか結果的にそうなってしまったのかは確かめようがないし、複数の人間の意志が全く同じであることもなかなかないでしょう。

また、陰謀者もあえて定理から外してみることもあるでしょう。

結局のところ、陰謀っぽいかどうかまでしか分からないのが事実だと思います。

 

 

 

さいごに

書いてみたものの、すべて理屈上正しいという自信がありませんので、参考程度に…

 

陰謀論はなにかを説明するために使えば、何にでも使えてしまいます。そして何の役にも立ちません。

ですが、世の中のおかしなこと、変なことを解決するために使えば、隠された何かを見つけられる可能性があると思います。

この世を仮に択ゲーと捉える

ゲームにおいて択という状況があるのですが、この世は全部択なんじゃないかって仮説。

 

 

択の説明

択っていうのは、相手の動き次第でどの選択も正解にも不正解にもなりうる状況をいいます。

 

 

択の特徴は、

 

  • 正解がない

   確率の差がある場合もありますが、結局は運

 

  • 他の択を選んだ結果を検証できない

   自分が他の択を選んだ場合を考えるならば、相手が他の択を選んだ場合も合わせて考えるべきなので無駄

 

  • どれの択が最善だったか分からない

   別の択のほうが良かったかもしれないし悪かったかもしれない

 

 

 

この択ゲー説を採ると、後悔は無駄であるということになります。

 

でも、それじゃあ何もかも全部運任せなのかというと、そうではありません。

運ゲーと択ゲーは違います。

 

 

 

択ゲーの説明

択ゲーにはどの択を選ぶかという戦略があり、そこに読み合いという駆け引きが生まれます。

 

択の種類をざっと示すと、

  • 安パイ……リスクが低い
  • 温存……攻め時を窺う
  • リソース補充……今後に備える
  • 安定……リスクが低めでリターンもそこそこ
  • 様子をみる……相手の出方を窺う
  • リソースを吐く
  • ハイリスクハイリターン
  • 意表をつく
  • 苦渋の一手……いい択がない
  • 敢えての択,ロマン……勝ちに拘らない

 

 

また、戦い方もいろいろあります。

  • 短期的に攻める↔長期的に攻める
  • 勝ち筋を追う↔負け筋を潰す
  • 自分から仕掛ける↔相手の動きに対応する

 

 

これらを状況に応じて選択していくということです。

 

対戦ゲームを前提に書きましたが、択が存在することに対して応用可能です。

 

 

択ゲー説の結論

確率的に失敗することを踏まえて、自分なりの立ち回りを鍛えることが成長だといえる。

他人に対しても、「やりたくてやったわけではない」、「なりたくてなったわけではない」状態があり得るのでむやみに責めない。

択を増やすためにも視野を広げたり仲間を得ることが大切。

金色のガッシュベルのカイルとレインから 臆病ぼっちを考える

アニメ#113~115です。

臆病で自分の気持ちをうまく話せないカイルを、レインがどうにかしようとガッシュに助けを求めるお話ですね。

 

 

(i)レイン視点

 ①カイルに強く当たるジルからカイルを守ろうとする

 ②ガッシュとともにハードルを下げて挑戦させることを試みる

 ③自分のせいで甘えているのではと懸念する

 ④かつてガッシュがレインにしたように、本気をぶつける

 

 

①の段階では表面的な手助けをし、現状維持。

②で自信をつけさせようとするも、うまくいかず。

そこで③へと至るのですが、カイルはレインの本を奪って走ってしまいます。

なぜ②がうまくいかず、そしてレインの本を奪ったのか。

 

それは臆病の原因が経験がないからではなかったから、

そしてカイルはレインが消えても何も解決しないと思ったからだと思います。

 

僕は、カイルとレインの関係が、千年前の魔物と月の石のような関係になっていたのではないかと思います。

恐怖に怯える者と恐怖を消し去る者。

千年前の魔物に関しては、石化するという恐怖はまやかしでありましたが、カイルの恐怖はそうではありません。

 

孤独で、人を信じられず、臆病はそれによる副産物ではないかと。

性格や育った環境によるものでしょうが、そこが一番の根幹だと思うのです。

 

④でレインがカイルを信頼すること、助けたいということを必死に示し、カイルがそれに応えるという流れになります。

いわば体を張ったコミュニケーションによって二人の心が通じあったわけです。

その後レインが消えることができたのは、カイルはもう人を信じることができると思ったからだと思います。

 

 

(ii)カイル視点

 千年前の魔物のように、基本的には恐怖から逃れることに精一杯になってます。

 その中でレインを純粋な心で助けたり、普段のレインの恩に応えようという思いもあり、レインからの信頼はある程度得られていました。

 

 

そういった態度がないと誰かが助けてくれるというのは中々ないのかなと思います。

このお話に近いのが#6の入院の回だと思うのですが、そこに出てくる勇太君が不人気なのは、その態度の違いが大きいと思うのです。(ガッシュの優しさの由縁が、いい人を救うのではなく苦しんでる人に共感するのだということも伺えます。)

 

 最後のシーンで、カイルはジルに対してやはり自信が出ませんが、レインへの誇りから自分の心の内をぶつけます。

 

他人を介して自分の弱さを乗り越えました。

少し似たシーンだと思うのが、#5の「いいではないか!」とガッシュが清麿に思いをぶつけるところです。

どちらも心のエネルギーが自分の気持ちを伝える恐怖に勝った結果だと思います。

それ以上に、アドラーを調べて思ったのですが、自分に価値があると思えたから勇気が出せたというのが大きそうですね。

 

 

解釈はいろいろあると思いますが、自分と同じ方向を向いてくれる人のおかげで勇気を出せたのだと思います。

信じるのも信じないのも間違い説。陰謀論に真偽がないことの証明

今回は数学の証明問題みたいなものをしてみる。

 

 

陰謀論とは「神が悪である場合」を考えたものなのだといえる。

ここでいう神とは、皆が信じていることとする。

ここでいう悪とは、嘘や隠蔽などをもって身辺の利益を図ることとする。

 

 

例えば、一次関数y=ax(0≦x≦1)の最大値を求めるとき、a>0のときとa<0のときとで場合分けをする。

そしてそれぞれの場合で解がでる。

それと同じように、物事に対して「神が善である場合」と「神が悪である場合」を考えることができる。

そしてそれぞれの場合で解がでる。

 

例に出した問題において、どちらの解が真実かを考える必要はない。

aが未知数である以上、どちらも答えになりうるからだ。

したがって、陰謀論にも真偽は存在しない。(QED)

 

 

これにより、次のことが導き出される。

  • 神が未知数でない場合(例えば善意によって行われていること)、陰謀論を考える必要性はない。
  • 未知数が多すぎる場合(例えばたくさんの人の意思によって行われていること)、陰謀論を考えても解は出ない。

 

 

 

(2020/01/06追記)

陰謀論は二つの階層に分けられると思う。

陰謀論Ⅰは、仕組みや構造から陰謀が起こりうる場合があるかを探る。陰謀があり得るかではなく、成り立つかを考える。

陰謀論Ⅱは、情報を集めて事実を探る。真偽を判断するにはひたすら調べる必要がある。

 

さっきの例えでいうと、Ⅰで未知数を探し Ⅱで解を出すといった感じ。

今回の話は陰謀論Ⅰについての話で、その段階では真偽の判断はできない という見解です。

 

コミュ障ぼっちのアウトプットにめっちゃいいサイト見つけたw

知識はあるけど人と話すのは苦手、情報発信しようにも先人がたくさんいてやってる意味がなさげ…という人に

 

結論から言うとヤフー知恵袋系のやつで回答者になることです

自分で調べないバカの相手はしたくない( `□´)と思った人も、理由を最後まで見ると考えが変わるかもしれませんよ\(^-^)

 

 

 

  • 素人でも土俵に立てる

  たまに経験者や専門家の方がいますが、そっちの方が少数なので敷居が低いです

 

  • 匿名

  コミュ障には必須といっても過言ではない(-.-)

 

  • 常に相手からボールを投げてくれる

  コミュニケーションをとるのがこれによって非常に楽になります

 

  • 曖昧な表現が許される

  質問者もこういうサイトで100%正確な情報が手に入るとは思っていませんので実質予防線張り放題

 

  • ブーメランを気にしなくていい

  質問者が主体なので自分のことを考える必要がありません

 

  • 得意なジャンルで攻められる

  ジャンルが分かれているので答えられそうな質問を探しやすいです

 

  • 知識を持つ者と知識を欲する者のマッチングが確実

  下手にブログとかをやるよりモチベ上がります

 

  • 自分にどれだけ引き出しがあるか分かる

  発信というより実践です

 

  • 他人へのアドバイスが自分に使える

  バイアスが少ない判断ができます

 

  • 時間を食わない

  質問されたことについてだけを答えればいいのでスピーディーです

 

 

正直かなりコミュニケーションや文章をまとめる練習になると思いますし、自信にもつながると思います

そして何より己の知識を活かして人の役に立つことが簡単にできるのがコミュ障にとってなかなか魅力的だと思います。

 

 

 

 

思考停止の定義

「人間は考える葦である」とはパスカルの残した言葉ですが、考えない人間が多くいるかもです。

思考停止にはどんなものがあるか考えてみました。

 

(i)権威主義

偉い人が言っている、すごい人がやっている、昔から行われている、一般的にそうだとされている、常識などです。

果たして権威だと思われているものが我々の得を考えているでしょうか。

権威の利害と私達の利害が常に一致することはありえません。

 

(ii)集団心理によるもの

周りの人がやっているから、みんなやってるけど大丈夫そうだからなど。

何のためにそれをするのか、誰が得をするのかを考えなければ利用されてしまっても気付けません。

 

(iii)100:0思考

決めつけや1つの情報筋のみを信じるなど。

明らかな証拠がある場合など例外を除く。

捏造やプロパガンダが横行している現在において絶対ということはほとんどありえません。

結論が100:0になるには徹底的に裏をとる必要があります。

 

まとめ

(i)と(ii)は原因を考えていない、(iii)はいろいろな可能性を考慮していないです。

上記の逆を考えると、考えている時はa:b:…(a≠0,b≠0,…)になるはずです。


aもbも実はαである、ということもあります。上位の概念を調べることで全体を把握できます。

引きこもり生活が四年で破綻した

はじめまして。
ブログを始めるにあたり、まずは自分について書こうと思います。

僕の引きこもり歴

  • 高1まで頑張る
  • 在籍のまま引きこもりに ゲームをしたりネット上で興味を持った人の言論を聞いたりする
  • 通信制高校に転学 週一のスクーリング以外ほとんど引きこもり、進路未定のまま卒業
  • 翌年、脱水からの廃用症候群自律神経失調症など


体力の維持を疎かにして現在は散々な状態です…
でも僕は引きこもらなければよかったとは思っていません。引きこもったことによって得た知見や経験によって世界への認識が変わったからです。


僕が書きたいブログ

ネット上では色んな人が多くの有益な情報を発信しています。
しかし、僕のようにそこにたどり着くまでに、又はたどり着いてから無駄な消耗をしてしまう人がいるはずです。
それを予防できるような記事を書きたいと思っています。

ブログ名は、アニメCharlotteの副題より。